【暑い夜のお祭り お面屋と出会った夜】
――夏の祭りと、ひとつの不思議な出会い
毎年、町の神社で開かれる夏祭り。
色とりどりの浴衣、賑やかな太鼓の音、屋台から漂う甘い綿菓子の香り……そのすべてが、まるで夢の中のようだった。
今年もまた、あの季節がやってきた。
夜のとばりが降りると、人々は提灯の明かりに誘われるように、神社の境内へと集まっていく。
金魚すくい、ヨーヨー釣り、かき氷にりんご飴。どの屋台も笑い声と笑顔で溢れていた。
そんな中、参道の一番奥に、ぽつんと建つ一軒のお面の屋台があった。
看板も出ていない。けれど、目を引くのは、その屋台に吊るされた無数の“お面”だった。
狐、天狗、おかめ、ひょっとこ──
どれも昔ながらのお面だが、妙にリアルで、どこかこちらを見ているような感覚に襲われる。
そのお面屋さんの前に、1人の少年が立ち止まった。
彼の名前は、ドル。
■ 少年・ドルとお面屋さん
ドルは少し変わった少年だった。
家ではゲームが好きで静かな性格。けれど、人混みは苦手で、友達といるよりも、一人で何かを見ている時間の方が落ち着く。
ドル「なんだろ、ここ……他の屋台より、静かだな。」
祭りの喧騒から離れ、静かに佇むそのお面屋さんは、まるで時間が止まっているかのようだった。
屋台の奥には、小さなおばあさんが座っていて、目を細めてドルを見ていた。
おばあさん「おや、坊や。お面、ひとつどうかね?」
ドルは黙って、吊るされたお面たちを見渡す。
どれも味のある面構えだが、その中にひとつだけ、不思議なお面があった。
狐のお面に似ているが、目元にだけ青いラインが入っていて、鼻筋がやけに鋭い。
他のお面よりも、何かが“生きている”ように感じられた。
ドル「これ……ちょっと、変わってますね。」
おばあさん「それは“選ばれし面”じゃ。誰にでも合うわけではない。だけど……お前さんには似合うかもしれないね。」
おばあさんの言葉に、ドルはふと、お面に手を伸ばした。
触れた瞬間、ひんやりと冷たい感触が伝わる。
ドル「……かぶってみても、いいですか?」
おばあさん「気に入ったなら、おあがんなさい。代金は……笑顔ひとつでいいよ。」
おばあさんがくしゃっと笑ったその瞬間、屋台の奥から風が吹き、お面がドルの顔に吸い付くように張りついた。
■ 不思議な世界へ
ドル「……あれ?」
視界が変わった。
ドルが目を開けると、そこは祭りの夜とはまったく違う、見知らぬ風景だった。
空は赤紫に染まり、屋台がずらりと並ぶその通りには、人の気配がない。
だが、屋台の一つひとつには、無数のお面が浮かび上がっていた。
ドル「ここ……どこだ?」
すると、遠くから拍子木の音が聞こえてくる。
カッ、カッ、カッ──と乾いた音を鳴らしながら、ひとりの少女が近づいてきた。
少女は狐のお面をつけていた。が、そのお面の目は、まるで生きているかのように動いていた。
少女「やっと来たのね、“選ばれた人”。」
ドル「え?僕が?」
少女「あなたがそのお面をかぶった時点で、ここに来る運命だったのよ。」
少女はそう言って、祭りの通りを指差した。
少女「ここは“面の祭”──お面たちが集う世界。
ここでは、誰もがお面をかぶり、本当の顔を隠して生きているの。」
ドル「……それって、怖くないですか?」
ドルの声に、少女は笑った。
少女「怖い?本当の顔の方が、怖いのよ。」
■ 本当の顔とは
祭の通りを進むたびに、さまざまな“お面の人々”が現れた。
皆、美しく、陽気に見えるお面をかぶっていたが、そのお面の下から、時折“本物の声”が漏れていた。
「笑っていても、本当は苦しい……」
「怒ってるけど、本当は悲しい……」
ドルはその声を聞くたびに、胸がざわざわした。
ドル「お面って……便利なんですね。自分を隠せる。」
少女「そう。でもね、長くかぶり続けると、自分の顔を忘れてしまうの。」
少女は立ち止まり、ドルを見た。
少女「あなたはまだ間に合う。本当の顔で、ここを抜け出せるかもしれない。」
ドル「……抜け出すには、どうすればいいんですか?」
少女「“自分が何者か”を思い出すこと。
それができれば、そのお面はあなたを導いてくれる。」
■ 自分を知るということ
ドルは一人で、再び通りを歩いた。
ある屋台の前で、彼は“自分そっくりの少年のお面”を見つけた。
そのお面を手に取ると、不思議な光景が脳裏に浮かんだ。
――小学校の友達にからかわれた日。
――本当は言い返したかったのに、黙っていた自分。
――一人で泣いた夜。
――でも、やさしくしてくれた母の手の温もり。
ドル「……僕は、僕のままでよかったんだ。」
その言葉とともに、顔のお面がすっと外れ、祭の世界が淡くほどけていく。
■ 現実の祭りへ戻る
ドル「……あれ?」
気がつけば、元の神社の境内。
お面屋の前で、ドルはひとり立っていた。
手には、さっきの狐面が静かに握られていた。
おばあさん「いい旅だったかい?」
おばあさんの声に振り返ると、屋台の奥にはもう誰もいなかった。
お面たちも、ただ静かに風に揺れているだけだった。
ドル「……不思議な夢だったのかも。」
けれど、ドルの心の中には、確かに何かが残っていた。
自分という“顔”を大切にしようと思える、小さな勇気だった。
■ それからの話
祭りのあと、ドルは少しだけ変わった。
笑いたいときは笑うようになった。
嫌なときは「いやだ」と言えるようになった。
そして、誰かのお面の奥にある“本当の顔”にも、気づけるようになった。
あのお面屋は、翌年の祭りではもう見つからなかった。
けれど、誰かが「本当の自分」を見つけたいと願ったとき、きっとまた、どこかで現れるだろう。
――そのとき、また新しい“お面の物語”が始まるのかもしれない。

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