【静かなる遺言】
旧日本軍の憲兵だった祖父と、孫ドルが過ごした“真実の夏”
■ 憲兵だったおじいちゃん
ぼくの祖父は、戦時中日本軍の「憲兵」として従軍していた。
憲兵──かつて日本の軍隊の中でも特に厳格で、恐れられた存在。
ぼく・ドルは子供のころは正直おじいちゃんのことが怖かった。
でも、実際に祖父と過ごした子供のころに、ぼくは“本当のおじいちゃん”の姿と、彼が背負ってきたものの重さを知った。
■ 昭和の影──語られなかった記憶
祖父は、戦争の話をほとんどしなかった。
けれど、ある夏の暑い日、縁側で麦茶を飲んでいたとき、ふと呟いた。
「あれは、任務じゃなくて…呪いだったのかもしれんな・・・・・」
扇風機の風とスイカの甘い匂いに包まれたあの夏の日、
祖父は少しずつ、封印していた過去を語りはじめた。
■ 「命令」と「心」のはざまで
ある夜、風鈴の音を聞きながら祖父はぽつりと話した。
「憲兵は、日本軍の警察の中でも味方を監視する兵隊でもあったんだ。
命令に背いた者を取り締まる──そういう役目だった」
盆踊りの太鼓の音が遠くから聞こえてくる夜だった。
「でもな、軍服を着ていようが、命令を受けていようが、
目の前にいるのは、人間なんだ。
それを忘れたら、自分が壊れる」
祖父の声には、悔しさとも悲しさともつかない重みがあった。
■ ドルの問い:「悪いことをしたの?」
ぼくは、勇気を出して聞いた。
「おじいちゃんは…悪いことをしたの?」
祖父は、しばらく黙ってからこう答えた。
「正しかったかどうかは、わしにも分からん。
だが、誇れることは一つだけある。
“最後まで、人を憎まずにいよう”と、決めたことだ」
■ 封印されていた手紙
仏壇の引き出しの奥から、一通の古びた手紙が出てきた。
それは、祖父がかつて憲兵として監視していた一人の兵士の遺族から届いたものだった。
「あなたが彼を撃たなかったと、戦友から聞きました。
彼は最後まで、家族のことを想っていたそうです。
どうか、自分を責めないでください」
祖父はその手紙を、何十年も誰にも見せずに持っていた。
■ 8月15日、終戦の日と空の色
8月15日。
終戦の日、ぼくと祖父は朝から神社へお参りに出かけた。
蝉の声が耳をつんざくように鳴いていて、空は抜けるように青かった。
帰り道、祖父が空を見上げてつぶやいた。
「あの日も、こんな空だったよ。
でもな、空がどれだけ青くても、心の中は灰色だった」
その言葉に、ぼくは言い返すこともできなかった。
■ 祖父の願い:「ドル、おまえは…」
夏の終わり、祖父がぽつりと言った。
「ドル、おまえは“自由に”生きなさい。
ただ、人を見下さず、人を恐れず、
人の心を忘れぬ人間になってくれれば、それでいい」
その目には、もう憲兵だった頃の鋭さはなかった。
代わりにあったのは、長い歳月を経てたどり着いた、深い“優しさ”だった。
■ 祖父が遺してくれたもの
お葬式の日、空はまるであの終戦の日と同じように青く晴れていた。
風鈴の音が揺れ、庭の向こうで蝉が鳴いていた。
「ドル、おまえは“自由に”生きなさい」
──祖父の言葉が、胸の奥で何度も反響していた。
祖父のように、正しさとは何かに迷いながら、
それでも人を憎まず、人を見下さずに生きること。
それは、どんな時代でも変わらない「強さ」だと思う。
あの夏、祖父が見せてくれた背中は、今も僕の道標だ。
そして、きっとこれからもずっと──。

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