『最後の火花と、ぼくらの約束』
🌌 静かな夏の夜に──
夏の夜。蝉の声も少しずつ弱まり、草むらからは虫の音が聞こえはじめていた。町外れの空き地には、ぽつんと灯りがともっている。
そこにいたのは、ぼくと、あいつ――ドルだった。
「いいか、ケン。線香花火ってのはな、最後の勝負にふさわしいんだよ」
ドルは意味ありげに笑って、買い物袋の中から一本の線香花火を取り出した。スーパーの激安コーナーで手に入れた花火セット。バケツとロウソクと、それからジュースにスナック菓子。どれもが安っぽいけど、今夜にはぴったりだった。
🎇 ふたりだけの勝負、ふたりだけの夏
「勝負って何の勝負だよ」
「この夏の締めくくりさ。最後まで火を落とさなかったほうが、勝ち。で、負けたほうがジュース奢りな」
「それ、また俺が負けるパターンじゃない?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。今日の俺、運気が悪い気がするし」
ぼくとドルは並んで腰を下ろし、ロウソクの火にそれぞれ線香花火をかざした。
小さな火玉が、ぷち、ぷちと音を立てながら下に垂れ、そして――
「始まった!」
ぼくらの視線は、たった直径1センチの火花に集中した。線香花火は不思議なもので、派手な打ち上げ花火よりもなぜか見入ってしまう。小さくて、でも精一杯に弾ける光。ぼくの火花は順調に下に垂れ、音もリズムよく続いている。
一方、ドルの火花は、なんだか心もとない。
「おい、もう落ちそうじゃん」
「ちょ、待て、頑張れオレの火花……!」
そのとき、ふと風が吹いた。そよ風程度だったけど、それだけでドルの線香花火は「あっ」と声を上げる間もなくぽとりと落ちた。
「ちぇーっ!」
「やった、俺の勝ち!」
「くそー、こいつめ、風のタイミング狙ってやがったな! 卑怯だー!」
「いやいや、自然の力はフェアでしょ?」
ぼくらは顔を見合わせて笑った。夜の風が少しだけ涼しく感じた。
ドルは、昔からちょっと変わってるやつだった。よくわからない理論で物事を語ったり、自分の世界観で話すクセがあった。けれど、なぜか憎めない。
✈️ 夢と別れの予感
去年の夏も、こうして一緒に花火をした。でもあのときは、ドルは黙って火花を見ていた。
「……ケン、お前、覚えてるか? 去年の夏、オレが急に『転校するかも』って言った話」
「うん、覚えてる。結局しなかったよな」
「……あのとき、転校の話は本当だった。でも、家の事情で流れたんだ」
「ふーん。で、今年は?」
「……たぶん、今度はマジだ」
ドルは、空を見上げた。月が半分ほど雲に隠れていた。
「オレな、宇宙飛行士になりたくてさ。いや、正確には“宇宙の端っこに住みたい”んだ」
「また変なこと言ってる」
「でも本気だぞ。こんな世界の重力に縛られてちゃ、夢は見られねぇんだ」
それを聞いて、ぼくは笑うしかなかった。でも、胸のどこかがチクリと痛んだ。
「じゃあ、今度はどこに行くんだ?」
「遠いとこ。たぶん、電波も届かないようなとこ」
「また意味わかんないこと言ってるな」
でも、ドルは言った。
「これ、最後の線香花火にしようぜ。オレのじゃなくて、お前のな」
二本目の線香花火を手に、ぼくは火をともした。
火玉が小さく垂れ、じりじりと小さな命を燃やし始める。
その火を、ぼくは無言で見つめていた。まるで、時間が止まったように。
ドルは、バケツの水に指を入れて、ぽちゃぽちゃと遊んでいる。
「ケン。お前、最後の火花、願い事するといいよ」
「願い事?」
「そう。落ちる前に願えば、ひとつだけ叶うっていう、伝説」
「それ、いつからの伝説?」
「オレが今、作った」
ふざけたような顔。でも目はまっすぐだった。
🔥 最後の火花に願いをこめて
ぼくは、視線を火花に戻し、小さな声で言った。
「……また来年も、線香花火できたらいいな」
火玉は、一瞬だけ強く光り、そして――ぽとりと、落ちた。
そのあと、ドルは夏の終わりとともに、遠くの街に引っ越した。
LINEも電話も、なんとなく連絡をとらなくなった。
でも、夏になるとぼくは必ず線香花火を買う。
一人でもやる。
願い事は、毎年同じだ。
「また来年も、線香花火を――」
🌠 願いは、届いていた
そして、今年。
空き地の草むらに誰かがいた。
「……よぉ、ケン」
振り返ると、そこには笑って立っている、ドルの姿があった。
「宇宙の端っこは、ちょっと寒すぎた」
「なんだよそれ……」
「でもな、また線香花火やりたくなってさ。で、来た。お前の願い事、ちゃんと届いてたぜ」
ぼくは思わず笑った。
ドルの持っていたスーパーの袋から、あのときと同じ線香花火が覗いていた。
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